出産レポ vol2 | ◆実家で暮らす子育てせいかつ◆

出産レポ vol2

出産レポ vol2

産気づいているけれども、診察は外来で行われました。
シャキシャキ歩いてエレベーターに乗り、受付の横を通っていつも通りの診察室へ。
でも、先生はいつもの先生ではありません(いつもの先生は一週間の休暇中)。
最初の頃2度ほど診察をしてもらったことがある院長先生です。

内診をした先生。
「うーん開いてないねぇ。ちょっと痛いけど我慢してね」
と言われたとたん、激痛!!
「アイタタタ」
とつい声が出てしまいました。
「痛いねぇ。我慢してね。」
などと適当なことを言われましたが、痛すぎる!!
病室へ帰って私は友人達にメールを送りました。

「HG、絶対呪う」

院長先生はあのお笑い芸人に似ています(でも性格は気弱で全然違うし、フォーとかも言わない)。

そして、陣痛促進剤を投与しての分娩になることを説明されました。
「いつくらいに生まれますか?」
と聞くと
「早くて昼かな。」
とのことだったので母には「お昼くらいに来てね」とメールをしました。

その後はいったん病室へ戻りましたがすぐに助産師さんが来てLDRへ移動し点滴となりました。
私が入院する前日はお産がラッシュで4人も出産をされたそうですが幸い本日の出産予定は私一人。
病室も空いていたしツイてました。
そして助産師さんはとても上手なAさんBさんコンビのうちのAさんが来てくれました。ラッキー!
早速友人達にメールを送り「Aさんなら大丈夫。まかせてがんばってね!」という励まし返信メールを受け取りました。

9時半、NSTをつけての点滴がはじまりました。
同時に抗生剤の点滴も。

お昼くらいに生まれたらいいなぁと思っていましたが、同じ時刻に促進剤の点滴を始めた友人が夕方に産んでいたので夕方になるかもなぁ・・・とおぼろげに考えていました。

助産師さんはボチボチと様子をのぞきにきがてら気を紛らわすようなおしゃべりをしてくれ、NSTとにらめっこ。
お昼前になるとだいぶお腹の痛みも強いものになり、助産師さんの薦めに従ってあぐらをかいて座ることにしました。
持参したテニスボールをお尻の圧迫に使おうと思ったのですが、これは失敗。
大きすぎてうまくハマりません・・・。
ゴルフボールが必要でした。
かわりに、医療用ホワイトテープを一巻借りましたが、これは強度が弱いようでひしゃげてしまうし。

破水はまだ続いていてお産パッドに絶え間なくなにかが流れ出ている感覚。
何度かトイレに行くうちにおしるし混じりのものになりました。

母が到着する頃には結構痛みが強いものになり、正直、誰もいないとこで一人で産みたい、とこの時はなんだか思ってしまいました。
誰かいると甘えが出てしまう気がして。あぐらをかく姿勢ももうできなくて横向きに寝ていました。
そんなとき携帯の着信。
義母でした。
かなり痛みを我慢している状態なのに、「まだ産まれないんでしょ?今仕事中だから夕方にまたかける」みたいな感じで言われてしまったので「いえ、今薬をうってますから夕方くらいまでには産まれると思うんですけど」と言ったのですが電波がよくないみたいで「え?聞こえない」と何度も返ってきて少しキレそうになりました。いい人なんですけども・・・。私がそれだけせっぱ詰まっていたということなのですね。
到着した母にお願いして今後は母の携帯か夫の携帯に連絡をもらうように段取りました。

母は到着するなり、飲み物やぬれタオルを出し私の世話をしてくれ助産師さんにお尻の押し方を習っていました。合間に腰をさするなどもしてくれてやっぱり母に来てもらってよかった・・・と思いました。

そして、2時頃ようやく夫が到着。
助産師さんたちに「パパの到着を待ってたのね~」とか言われましたが、モノモノしい雰囲気に固まっている夫。ちょうど、子宮口の開きが悪いため筋肉弛緩剤を注射するところだったのでそのことを説明してもらいました。
赤ちゃんはかなり下りてきているんだけど子宮口の開きが追いつかず、むくみもでてきているので、ということらしいです。
赤ちゃんが下りてくるのが早いのは「ビクスの成果ね」と言ってもらいました。
でももう、このくらいになると痛みも強くて「もう、どうにでもしてくれ」という感じでとにかく早くお産を終わらせたい一心でした。夫の到着も嬉しかったけど、それどころじゃないってかんじ。

ひたすら痛みの波に耐え、痛みの合間にはトイレに行き子宮口の開きを促すという流れでがんばってはいましたが、痛い時には「いた~」とか「むぎ~」とか声が出てしまいました。
そして点滴の器具を従えてトイレに行っている間に一度は痛みの波が来てしまうので崩れ落ちそうになりながら必死でした。
出血すると子宮口が開くというように言われたので、何かが流れ出る感覚があるたびに期待するのですがどうやらそれは尿・・・だったようで、ショックでした。
このころ子宮口の開きは5センチ程度。3センチからが長くてなかなか半分まで行かずつらかったです。
助産師さんは「内診して開いていなかったらイヤだろうなと思って」と言っていましたが、内診から内診の間はものすごく長く感じられました。

そして4時半頃、ようやく子宮口が8センチ程度に。少しずつ筋肉弛緩剤が効いたようです。
痛みはピーク。横向きに寝て、痛みが来るたびに夫の手を強く強く握りしめていました。
もう、この人の手なんて骨が折れてもいい!という感じで手加減せずに掴んでいたので夫は相当に痛かったと思います。
声も「フギギ~」とかうめき声みたいな感じで漏れてしまうのですが、痛みが遠のくとつい素に戻ってしまい助産師さんに「うるさくてスミマセン」とか謝ってました。
子宮口が開いたので必死になって我慢していた「いきみ」が解禁に。
LDRでそのまま出産ということになったので、どういう体位で産みたいかを聞かれたのですが、そのときは素モードだったので助産師さんに「どういうのが一番いいでしょうか?分娩台にしたほうがいいならそうします」とか妙に冷静に答えていました。やっぱり分娩台スタイルがいきみやすいだろうということだったのでお願いすると、一気にLDRのベッドがバタバタと分娩台に。いろんな器具が運び込まれ足にもカバーをつけられ、上半身も少し起こすような感じになりました。

いよいよだなぁ・・・。やっと終わるし子供が生まれるんだ。

と強く思ったのをよく覚えています。

つづく・・・。